2017.05.01
interview
Samgha People
精神科医
名越 康文さん
10歳のとき、『海底大戦争』という映画で、もともと人間だった海底人が爆弾によって木端(こっぱ)微塵(みじん)にされてしまうのを観てショックを受けた。人ごとではない。前の年には祖父が死んだ。突然の死で父が泣き崩れた様子がありありと浮かんだ。ぼくも父も祖父が死んだように、やがては死ぬ。だとすればなぜ、ぼくは生きるのだろう?
毎晩のように泣きじゃくり、両親を困らせた。ぼくは死ぬ。死ぬのに生まれてきた。じゃあどうして生まれてきたんだ?
学校の授業で聞いた「パンドラの箱」を自分なりにアレンジして、その問いを封印することにした。大学の医学部に入って、封印していたパンドラの箱が、再び開いた。
「人の命を救わなければならない医学部に行って、こともあろうに〈どうせ死ぬのになぜ生きるのか〉という問いを抱えてしまったんですね。 手術して助かってもまた死ぬ。人間一度は死ななあかん。こういうことばっかりが頭を占める。なのに大学の授業では、病気を治すんや、人の命を救うんやっていうことでやっている。
この問いに答えられないかぎり、自分は医者としてやっていけない。そう悩む一方で、自分はきっと勉強を怠けたいがために、こんな愚(ぐ)にもつかないような問いに逃げ込んでいるんだという自己嫌悪にも苛(さいな)まれて、2回も留年してしまう。
そんな袋小路に入ったぼくを救ってくれたのが仏教でした。
答えのない問いと、命を救う医者として生きることの矛盾に引き裂かれた、抑鬱(よくうつ)状態から抜け出すことができたのは、仏教の教えのおかげだった。それはぼくにとっては、パンドラの箱の底からあらわれた一筋の希望のようなものだったのかもしれません」
名越さんは、意識偏重(へんちょう)になりすぎた現代人に対して、意識よりも感覚をとりもどすことが大事だと言う。
「大学で教えている若い人たちって、虫を怖がる子が多いんです。うちの子どももね、風呂場で虫が出たらギャアって言います。かわいらしいんですけどね。 仏教というのは、人間の感覚を呼び覚ます宗教だと思います。学生の人たちは普段はすごく意識的に生きているんですね。偏差値教育とかはその最たるもので、数字を見て自分を決めるんですね。
山の寺で二日ほど心理学の講座をしたりすると、『また来たいです、このお寺に』と言うんです。それはもう森の精気に触れている。いろんな木々の音、匂い、それから鳥の鳴き声なんかに触れて、感覚がどんどん戻ってきている。『癒(いや)されました』と言って帰るんです。 だから若い人たちや子ども達はある種自然とか世界とか、さまざまな生命との交わりから隔離されているのだと思います。
人間は意識だけの世界で合理的にお金が儲(もう)かったら幸せになれると思って、そっちにがっと舵を切った。二百年前ぐらいからですね。それでようやく豊かな生活にはなったけど、まったく幸せじゃないって気づきはじめた。そしたらどうしたらいいんやって。 ぼくなんかに言わせると、いやいや意識があり過ぎんねん。もうちょっと感覚に目覚めようと。隔離されてフリーズされてしまった感覚を、お湯を入れて解凍しましょうというのがぼくの意見なんです」
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