2017.03.01
interview
Samgha People
フォトジャーナリスト
安田 菜津紀さん
16歳のとき、「国境なき子どもたち」のレポーターとしてカンボジアに行き、人身売買の被害に遭った子どもたちを取材した。子どもたちを前にして自分の無力さを痛感した。自分に何ができるのか。カンボジアで見聞きしたことを一人でも多くの人たちと共有させてもらうこと、それが今の伝える仕事の原点になった。
中学2年生のとき父が、翌年には兄が亡くなった。家族とは何だろうと思った。 自分の日常生活からは答えが出なかった。
「そんなときに、家族と暮らせなかったり、何かの事情で路上生活を送らざるをえない子たちがいる国のことを知ったんです。
カンボジアで出会った子たちは、家族ぐるみでだまされてお金で売り買いされて、でも一番最初に家族を気遣う。自分は施設で暮らしているけれども、家族は食べられていないかもしれない、寝る場所がないかもしれないというふうに。自分以外に守るものがある子たちというのは、こんなに強くて優しいのか。その原体験は大きかったですね」
シリア難民を取材した『君とまた、あの場所へ―シリア難民の明日―』の表紙は、子どもたちが笑顔で駆けてくる写真だ。
「ヨルダンという国は、シリアから大量の難民を受け入れ続けてきました。大人たちがぶつかり合うことによって、それが子どもたちに伝染して、例えば、ヨルダンの子がシリアの子たちにちょっかいを出してしまうことがある。それで先生たちが、せめて補習授業だけでもと、合同の教室をつくったんですね。一緒に生きていくことができると実感を持った子たちが、やがて大人になって、今度は社会を築いていく側になっていく。子どもたちが憎しみではない世界に触れる、その場をどれくらい大人がつくれるかということですね。
私たちが何枚シャッターを切っても、瓦礫(がれき)をどけられるわけではないですし、難民の方の取材をさせていただいて、その子たちの怪我が治るわけではない。ただこの5年と少しの時間をかけて、シリアの人たちから教えてもらったことの一つが、その後ろめたさから逃げないということでした。難民支援にずっと携わるNGOの方が、自分たちはここにいて、確かに人に寄り添いながら活動を続けることはできるかもしれない。だけど、ここで何が起こっているのかということを発信するということは難しい。だからこれは役割分担だという言葉をいただいたんですね」
東日本大震災から5年。津波で義理の母を失った。やがて海の営みが少しずつ息を吹き返していった。不思議だった。あの惨事を目の当たりにしても、なぜ人は恨みではなく、海と共に生きようとするのだろうか。海への変わらぬ愛をもってもう一度生きようとする漁師の記録を撮った。
「この町は海と共に呼吸しているんですね。復興がただ海をコンクリートで固めるということではなく、自然と人間が同じ空間を分かち合って生きていくことなんだということを教えられました。それが未来に対する一つの希望でもあるし教訓です。同じ悲しみを繰り返さないために、私たちは自然の力を認めた上で、災害に備えなければいけない。畏敬(いけい)の念という言葉をよく漁師さんたちがおっしゃる。自分たち人間が自然の上に立つのではなくて、やはり自然に対する敬意だと思うんですね。それは被災地にとどまらず、普遍的なテーマだと思います」
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