2017.09.01
interview
Samgha People
タレント・エッセイスト
小島 慶子さん
出稼ぎ生活である。夫が離職したのを機に、オーストラリアのパースに移住した。3週間ごとに、仕事のある日本と家族と暮らすオーストラリアを往復している。子どもたちは地元の公立学校に通い、夫は家事と育児と勉強に専念。「あるべき家族」なんてどこにもないと思う。今ある家族がかけがえのない存在なのである。
母が重たかった。母との関係が近すぎて、15歳から最初の子を産む30歳まで、摂食障害になった。小島さんは苦しい半生を『解縛(げばく)』という本で赤裸々に告白している。
第2子を出産した直後に、職場復帰への不安も重なって不安障害に。カウンセリングを通して親子関係を見直した結果、小島さんは、母を、そして家族を「諦める」ことにした。
自分が自分であることが辛(つら)すぎて、食べることでそれを紛らわせる。太っている自分がもっと嫌いになるので、食べたものを吐いてしまう。過食嘔吐(おうと)というタイプの摂食障害だったんです。 でも、自分がなぜそんなことをしてしまうかわからない。それが病気だとも知らず、ずっと自分を責めてきたんです。
30歳のとき、初めて子どもを産みまして、人の親という視点を獲得したんですね。腕の中の子どもを見ていたら、私にとっては今まで親子という関係でしかなかった母が、親同士という関係に見えてきたのです。そして批判的な視点というものを持つようになりました。なぜ母と私の間は、こんなに苦しかったのか。そこで発見したことは、母が私のことを他者として見ることができなかったということです。
つまり、娘は自分とは違う体を持ち、自分とは違う人生を生きている者であると見ることができずに、自分の生き直しを託してしまった。 私もまた母に対して、お母さんなんだからこうしてほしい、親なんだからこうしてほしいと、親が誰であるかを知ろうとしなかったんですね。
家でアルバムを見ていたら、生まれたばかりの私を抱いている母が、写真の中で私よりも年下になっていました。大発見です。今の私より年下の女性が、オーストラリアという外国で二人目の子どもを産み、その子どもを育てようとしている。 そのとき彼女がどんなことを感じていたのか。初めて一人の名前を持った女性として彼女が見えてきたんです。はっとしました。母のことを何も知らなかったんです。
そこで何か、理想の母親像を彼女に求めて怒り続けるのは無理がある。これが〈諦め〉でした。それは彼女を見放したのではなく、私が私の中に描いていた母親像を見ることで母を憎むのではなく、目の前にいる、不完全で、私と同じくらい子育てに悩みながら、私と同じくらい幸せになろうとしていた、普通の女の人を発見した瞬間だったんですね。
子どもを産んで、私が学んだことは、人生は思いどおりにならないことがほとんどだということでした。
子どもは親の作品ではない、時間をかけて対話する相手なんですね。そしてまた、自分の横にはいつも夫がいてくれました。それが何よりの支えでした。私は絶望していたけれど、彼は世界が終ったのではないことを示してくれたんです。
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